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神戸地方裁判所 昭和63年(行ウ)22号 判決 1990年6月20日

原告

匠敬造

被告

尼崎労働基準監督署長佐脇一郎

右指定代理人

山野義勝

大上良一

山上善廣

上田博

渋田正彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が原告に対し昭和六〇年九月二〇日付及び同年一〇月七日付でした労働者災害補償保険法による休業補償費の不支給処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文同旨

の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、被告に対し労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による休業補償につき、<1>昭和六〇年九月五日に同年八月二日から同年九月五日までの分の、<2>同年九月二六日に同年同月六日から同年同月二六日までの分の給付支給請求をしたところ、被告は、原告の傷病が同年八月三一日に治ゆしたものと認定して、<1>につき同年九月二〇日付で同年九月一日分以降の休業補償給付を支給しない旨の一部不支給決定(<1>の決定)を、<2>につき同年一〇月七日付で全部の不支給決定(<2>の決定)をした。

(二)  原告は、昭和六〇年一一月六日、右<1><2>の各決定につき、兵庫労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、昭和六一年四月一〇日付で右審査請求を棄却する決定をした。

(三)  原告は、同年七月九日、右棄却決定につき、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は昭和六三年八月一日付で右再審査請求を棄却する裁決をし、右裁決書の謄本は同年同月一九日に原告に送達された。

2  被告のした<1><2>の各決定は違法である。

被告は、原告の傷病が昭和六〇年八月三一日に治ゆしたものと認定しているが、その後も治療を継続しており、治療を必要としている。ところが、被告は、原告の治療期間が長期化したことから医師を指導して原告の症状が固定したとする所見を提出させ、これを根拠に<1><2>の各決定をしたものであり、原告の現症状を調べることなく、また医学的手段を用いずに判断したものでその判断が誤っており違法である。

二  被告の認否

1  請求原因1項は全部認める。

2  同2項は否認する。

三  被告の主張

1(一)  原告は、野崎工作所(尼崎市神崎樋尻二四―四)に金型工として勤務していたが、昭和五二年六月六日午後六時頃、同工作所内において、フライス盤に製品を乗せるためにパイプとチェーンブロックを使用中、パイプが落下して頭部及び頚部を受傷(以下「本件受傷」という。)し、浜名外科医院(尼崎市常光寺西ノ町二丁目三〇)で受診したところ、「頭部挫傷・頚部捻挫」と診断された。そして、原告は、同年六月七日から休業して療養を続け、昭和五六年一月一七日に同医院医師糸原学からほぼ症状固定の診断がされ、さらに昭和五八年六月三〇日に同医師により完全症状固定の意見が述べられたが、自覚症状を訴えて療養を続けて休業した。

(二)  その後、原告は、昭和五八年七月一一日から関西労災病院(尼崎市稲葉荘三丁目一―六九)に症状確認検査のため転院し、「頭部外傷後傷害」と診断されて引き続き加療していたので、被告において、原告に対する休業補償給付の必要性に疑義が生じたため調査したところ、原告の傷病は労災保険法上の治ゆと認められた。

(三)  そこで、被告は、昭和六〇年七月一一日に原告に対して同月(ママ)八月三一日をもって治ゆと認定(認定治ゆ)し、その後の給付については支給しない旨の通知をした。

(四)  そして、被告は、原告の請求原因1の<1><2>の給付請求に対し<1><2>の決定をした。

2(一)  労災保険法による休業補償給付は、業務上の負傷又は疾病による療養のため労働することができないために賃金を受けないことが要件とされているので、負傷又は疾病が治ゆした後については休業補償給付は支給されない。そして、その治ゆとは、負傷にあっては創面治ゆ、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状が持続しても医療効果の期待できない状態となった場合等症状が安定し、疾病が固定した状態にあるものをいい、治療の必要性がなくなったときと解されている。これらの結果として残された欠損、機能障害、神経症状等は障害補償の対象となるものであり、症状が残存していても、それが固定しそれ以上の医療効果が期待できなくなったものと判断されれば治ゆと認定される。

(二)  原告の傷病の状態、療養の経過及び治ゆ当時の症状に関する糸原学医師、関西労災病院脳神経外科別府彰医師、同奥謙医師、同病院整形外科中島一行医師、同病院耳鼻咽喉科宮本浩明医師、同病院眼科高槻玲子医師の各意見書、診断書によれば、原告の症状については、自覚症状が主であり、他覚的所見に乏しく、右主訴を緩解する目的で対症療法が行われていたものであり、また原告の多種多様な訴えは、前記受傷に起因するものとは認められておらず、受診回数も月一ないし三回程度と少なく、症状の変化もなく医療効果も認められないとされている。

被告は、右医師の意見書等から判断して昭和六〇年八月三一日をもって症状固定(治ゆ)と認定したのである。

なお、原告の前記審査請求について、審査官が意見を求めた兵庫労働基準局地方労災医員山口三千夫、伊藤友正の各意見書によっても、原告については、<1>昭和五二年六月六日の受傷以来、質的に、また時間的に既に十分な医療が行われている<2>最近は画一的対症療法が行われているに過ぎない<3>現症及び傷病経過から根治療法の適応は認め難いことからして、既に症状固定にあるものと考えてよいとされている。

(三)  労災保険は、業務上の事由または、通勤による労働者の負傷、疾病、傷害または死亡に対して迅速、かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行うためのものであるところ、被告は、公正な保護を行うためにその傷病の状態を的確に把握し、個々の症状に応じた適正な給付を行うことを基本としている。そこで、被告は、原告の受診している主治医に原告の傷病の状態、現症状についての意見書等の提出を求め、それらにより判断した結果、原告の頭部挫傷、頚部捻挫の傷病の症状は、昭和五六年一月頃よりほぼ症状固定に近い状態となり、昭和五八年六月三〇日には症状固定となっていることが認められた。

ところが、原告は、主治医の就労の勧告及び治ゆ(症状固定)の説得に耳をかさず、その後も治療を継続していたため、被告は、原告の業務上負傷した傷病の症状は固定し、今後治療を続けてもその医療効果が期待できないものと認め、昭和六〇年八月三一日をもって認定治ゆとしたものであり、したがって被告のした<1><2>の決定は、適法であって取消すべき理由がない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  原告は、昭和五二年六月六日、野崎工作所内において、チェーンブロックと直径約二〇センチメートル、長さ約四メートルのパイプを使い、フライス盤の上に約一トンの鉄製品を乗せようとしていた際、チェーンブロックと製品を吊ってあったパイプの片方が外れ、パイプがチェーンブロックと製品とともに落ち、パイプで頭部及び頚部を受傷した。

原告は、その直後、近くの病院で応急措置を受けたうえ、浜名外科医院でレントゲン等の検査を受け、その後、昭和五八年六月まで頭部及び頚部の治療を受けるようになった。なお、原告は、浜名外科医院で治療を始めてから約一か月後に関西労災病院の脳外科、耳鼻科及び眼科の検査を受けたが、脳外科のレントゲン検査では頭部にへこみと血痕があった。また原告は、頭部への衝撃のために前歯を五本、下歯を五本抜き、下の歯が総入れ歯となった。そして、原告は、昭和五八年七月から関西労災病院に転院して治療を受け、脳外科、神経科、脳神経科の治療を受け、現在も継続している。

2  労災保険は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡に対して迅速かつ公正な保護をするために、必要な保険給付を行うほか、労働福祉事業として、被災労働者の社会復帰への促進、被災労働者やその遺族に対する援護、適正な労働条件の確保などを図ることにより、労働者の福祉の増進に寄与することを制度の目的としている。ところが、被告は、治療中である被告に対し、治療期間が長期化したという理由で、社会復帰の機会を与えることなく症状固定と認定し、<1><2>の決定をしたのは違法である。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する(略)。

理由

一  請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二  原告(大正八年三月一五日生)は、野崎工作所(尼崎市神崎樋尻二四―四)内において、昭和五二年六月六日、業務上負傷して休業し、それにより休業補償を受給してきたことは当事者間に争いがないところ、被告は、原告の傷病は昭和六〇年八月三一日までに治ゆし、原告に対し同年九月一日以降の休業補償給付をすることができないから、被告のした処分は適法であると主張するので検討する。

成立に争いのない(証拠略)によると、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中この認定に沿わない部分は信用できない。

1  原告は、昭和五二年六月六日、野崎工作所内でパイプとチェーンブロックを使って鉄製品をフライス盤に乗せる作業をしていたところ、パイプが落下して頭部及び頚部に当たって負傷し、そのすぐ後で浜名外科医院で糸原学医師の診察を受けて「頭部挫傷・頚部捻挫」と診断され、翌日から休業して療養することになった(以上の事実は当事者間に争いがない。)。原告の初診時の症状は、頭頂部やや後方左寄りの所に腫脹、左項筋に自発痛、圧痛、左上肢のしびれ感があるというものであり、その後の糸原学医師の診断によれば、原告の状態は、昭和五六年一月時点では、ときどき頭がふーとなる、頭部の打撲部が痛いという主訴を中心とし、他覚症状に関しては症状固定しており、理学療法、投薬による治療をしているが、就業しながら療養が可能であって療養のために休業する必要がないというものであり、昭和五八年六月時点では、症状は右と同じで昭和五六年一月頃からほぼ症状固定し、整形外科的保存的治療(理学療法、局所注射、投薬等)を施しており、療養のための休業の必要性が認められず、その頃から就業(軽作業)を勧告しており、昭和五八年六月三〇日に完全症状固定し、初診日より経過した年月を考えると以後いかなる治療も効果なしというものであった。なお、原告は、その間に関西労災病院脳神経外科、整形外科、耳鼻科においても受診した(後記3項(二)、(三)、(四)のとおり)。

2  原告は、昭和五八年七月一〇日、浜名外科医院の治療を中止し、翌一一日から関西労災で治療を受けるようになった。原告は、関西労災病院において、頭痛、頚部痛、難聴、霧視等多彩な症状を訴えて、脳神経科、脳精神外科、内科、眼科等の診断を受け、その間に歯の治療をし、現在も引続き頭痛等を訴えて月に一、二回の割合で通院治療を受けている。

3  被告の照会により関西労災病院の各科の医師から被告に提出された原告の症状及び治療内容等についての意見書には、概要次の記載がある。

(一)  脳神経科別府彰医師・昭和五九年一〇月九日付(証拠略)

(1) 現在の症状 頭痛特に左側頭部が激しいという、頭が茫っとする(特に降雨時)。大後頭神経圧痛(+)、ジャクソン兆候(-)、イートン兆候(+)、頚部以下の知覚減、反射正常、病的反射(-)、脳波正常、頚椎X線像OA、血圧は降圧剤で正常範囲、易興奮性。

(2) 治療内容及び治療効果 鎮痛剤(ポンタール)安定剤(メレリル)降圧剤(ロンチル、ニコデール)の投与により可なり有効。

(3) 療養のため休業を必要とする医学的所見 昭和五八年七月頭痛、興奮、不安、傷害事件を起こす虞れあり、浜本病院より転院する。血圧一七四―九三、頑固な頭痛を強力に訴える。

(4) 治ゆ(症状固定)の時期(見込) 一応固定治ゆの方向に向かって極力説明しているが納得せず、頚部捻挫の一部関係しているが頚腕症候群があり、これについても生理的、加齢現象もある上に頭痛の一端を担っていると説明しているが充分な理解を得られない、就労の方向へ強力に説得している、高血圧についても必ずしも受傷に起因するとは断定困難。

(二)  脳神経外科奥謙医師・昭和五九年一二月一七日付(証拠略一、二)

(1) 初診年月日、初診時の症状、所見及び訴えの内容 昭和五二年八月二七日、頭痛、頭重感を訴えるも神経学的に異常なし。

(2) 初診時から現在までの症状及び治療内容、治療効果 当科にて特に治療せず、初診後一回(昭和五八年七月八日)再診に来院するも、その時頭痛を訴え、神経質で性格の変化を訴えたので精神科受診。

(3) 審査結果 頭部レントゲンにて一部明るい所があるが外傷とは関係ないと思われる、陥没骨折なし。

(三)  整形外科中嶋一行医師・昭和五九年一〇月二六日付(証拠略)

(1) 初診年月日、初診時の症状、所見及び訴えの内容 昭和五二年頃、頚部痛、頭痛。

(2) 初診時から現在までの症状及び治療内容 初診後再診治療なし。

(3) 検査結果 頚椎症性変化を認めるも、骨傷を認めず。基礎疾病の有無 高血圧、精神障害。

(四)  耳鼻科宮本浩明医師・昭和五九年一〇月一五日付(証拠略)

(1) 初診年月日及び訴え 昭和五二年八月九日、左難聴、耳鳴り、昭和五二年六月六日左頭頂部に鉄製パイプが落下した由、なお、騒音下職場に一六年間勤務経験あり。

(2) 初診時からの所見及び治療内容 昭和五二年八月二六日再受診しているが投薬などの加療は施行せず、主訴における難聴、耳鳴りは頭部外傷によるものとは考えがたく、騒音性難聴と思われる。

(五)  眼科高槻玲子医師・昭和五九年九月二八日照会、日付なし(証拠略)

(1) 初診年月日、訴えの内容及び診断名 昭和五八年七月二五日、頭痛、霧視、神経科より精査を依頼される、眼科的には遠視性乱視、涙液分泌減少症。

(2) 初診時から現在までの症状及び治療内容 遠視性乱視について眼鏡処方、また涙液分泌減少症については一パーセントコンドロン点眼投与している、その他頭部外傷による後遺症の眼科的症状の有無につき精査したが(1)以外に著変認めない。

(3) 検査結果 視力右〇・一、左〇・一、眼圧、視野、眼球運動等著変認めず。

(4) 私傷病の有無 (1)にあげた二つは外傷と無関係と診断する。

(5) その他 眼科的には昭和五八年八月一六日の精査終了時に、外傷に関する後遺症はないと診断している。

また、<1><2>の決定についての審査段階で、兵庫労働基準局地方労災医員山口三千夫の作成した意見書(昭和六一年二月一四日付)では「現在、頭痛よりも一時的な記憶喪失に類する発作を訴え、その間に反社会的行動をする可能性ありというが若干おどし気味である。本人は、症状固定と治癒との意味を理解していないか、あるいはあえて理解しようとしていないと思われる。薬を続けて服用したいという訴えもあるが、症状そのものよりも休業補償が打ち切りになることが気になるようである。以上の精神状態である他、老化のためもあって理解力が甚だ低下しており、思考の強剛性がみられる。現在、左側頚部圧痛、軽度の大後頭神経圧痛があり、左肩凝りもあることから、頚椎の障害に起因する愁訴と考えられる。これまでの加療経過からみて愁訴の著しい改善は期待しがたい症例とみなすべきであり、精神的な症状は外傷に直接関係しないと考えられる。医学的には症状固定の状態であり、本人の性格ないし老化現象のためか、その状況をあえて認めようとしない状態と考えられる。従って労働災害に起因する障害、即ち頚椎の症状については今後治療を行うことによって改善するとは考えられない。性格異常、粗暴な行為に対してはしかるべき措置や投薬が必要かとも考えられるが、労働災害とは別の疾患と理解すべきものであろう。」としており、同じく、伊藤友正の作成した意見書(昭和六一年二月一〇日付)では「傷病名・頚椎損傷、主訴・左半身即ち左頭部、頚部、肩、上肢、下肢が悪い。打った左頭部が痛む。特に雨の前に著しい。日常はテレビを見たり、運動に出る。阪神百貨店に孫を連れて行くが、時々フーとなるのが怖くて付き添いがいる。現症・頚椎―視診上異常は認めず、可動性は良好であるが、後屈で目がまうと訴え、右旋回で左頚部に疼痛を訴える。両上肢共に挙上運動に障害なく、筋萎縮、腱反射異常は認めず、手指の巧緻性の障害も認めない。両下肢にも腱反射異常は認められない。レントゲン所見・浜名外科で撮影のフィルムを見るに、頚椎には第五―六頚椎間で骨棘形成、椎間狭小化をみ、第三、四神経孔の狭小化変形をみるが、これは退行性変化であり外傷起因性の骨変化は認められない。上記所見及び診療録、各医師意見書より考察するに<1>昭和五二年六月六日の受傷以来質的にまた期間的に既に十分な医療が行われていること、<2>最近は画一的対症療法が行われているに過ぎないこと、<3>現症及び傷病経過から根治療法の適応は認めがたいことからして既に症状固定にあるものと考えてよい。」とする。

そして、以上の各医師の意見書の記載内容は信頼することができる。

三  右認定の昭和五二年六月六日(原告が受傷した日)から昭和六〇年八月三一日(症状固定と認定された日)までの原告の症状、治療経過をみると、原告の症状は、本件受傷当初はともかくとして、その後は自覚症状が主であり、他覚的所見に乏しく、原告の訴えのうち多くは本件受傷と関係のないものであり、本件受傷と一部関連するとみられる頚腕症候群(頭痛、頚部痛等)も高血圧症、加齢現象(椎間狭小化等)とのかかわりで判別できず、本件受傷による症状については昭和五八年六月末日頃には医療効果が期待できない状態になっており、浜名外科医院糸原学医師により昭和五七年二月にほぼ症状固定の診断を受けて軽作業に就くように薦められ、昭和五八年六月末日には完全症状固定の診断を受け、昭和五八年七月、関西労災病院で治療を受けるようになってからもその症状に変化がなく、昭和五九年一〇月頃には別府彰医師からも就業するよう強く説得され、本件受傷により症状により休業を必要としない状態(年齢的に稼働できるかどうかは別として)になっていたのであるから、原告の本件受傷による症状は、昭和六〇年八月三一日以前から医療効果を期待できない状態にあり、症状固定(治ゆ)していたものとみられる。

なお、原告は、これからも高血圧症、精神症状等について治療を継続する必要があるものとみられる(証拠略)が、右症状は本件受傷によるものとは認められない。

原告は、被告は原告の治療期間が長期化したことから医師を指導して原告の症状が固定したとする所見を提出させ、原告の現症状を調査することなく、医学的手段を用いずに判断した旨主張するが、その主張のような事実は認められない。

そうすると、被告が本件受傷による被告の症状が昭和六〇年八月三一日に症状固定(治ゆ)したものと認定して同年九月一日以降の労災保険法による休業補償費を支給しないものとし、これを前提とした<1><2>の各決定は適法であり、取消すべき理由はない。

四  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷喜仁)

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